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1.薫的さま
「竹厳院、いや松厳院」
二代藩主竹内忠義のおくり名で対立関係にあった真如寺の「竹厳院雲公龍山大居士」に対して厳の上では竹は枯れる(土佐藩の衰退を暗示)、厳に松ならばと「松厳院」に改めるよう主張。
主張を曲げなかった為、7年間の在獄となります。
噛んだ指の血で経文を書き、断食で死んだのですが、「なんで、どうして」ではない、そこが信念の人、薫的さまで土佐のいごっそうと言われる所以かもしれません。
今も、洞ヶ島の薫的神社におまいりする人は絶えません。
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